他人の不幸は蜜の味?
前回、うわさ話について書きました。うわさ話の中には人の不幸や不運にまつわるものがあります。
そんなとき、フッと湧いてくる感情はいったいどういうものか?
「かわいそうだ」という感情の他に「いいきみだ」など意地の悪い感情が沸き出ることもあります。
そんな他人の不幸に対しての感情が甘美なものであった場合、人として不謹慎で不道徳でダメなことなのだろうか?と思ってしまいますが実はそうではないらしい。
これは元々人が動物としての生存競争の中で獲得した脳のメカニズムということです。
ゼロサムゲーム説というものがあります。
これは競争相手が少なければ少ないほど自分の取り分が多くなるので他人の不幸や不運は自分の幸運や幸せにつながるというものです。
この説を適用するのであれば「人の不幸は蜜の味」は人類が長い間、過去何百万年という単位で、限られた資源や食料を奪い合ってきたなかで形成されたもの、なかなかこの呪縛からは逃れることはできないですね。
実際にネット上の投稿やサイトを見てもこの感覚にあらがう事は無意味でうまく付き合ながら社会生活を営むことが得策だと書かれているものが多いです。
私の周りでも、このような感情を認めつつも、スマートに人間関係を構築している方々がいらっしゃいます。
その人たちの考え方でとくに素晴らしいと思った点をお伝えしましょう。
身内や味方の不幸は避けたいという思い
敵対する人物の不幸はそれこそ蜜の味になりやすいですね。
ところがこれが身内や味方になるとそうは思いません。
すなおに、身内や仲間の幸運や幸せを喜びます。
前述した素敵な人間関係を持ってらっしゃる方々はビジネスにおいても遊びにおいても本当に仲の良い人たちとの人間関係を築いています。
周りの人達を身内や味方のような人たちで固めている感じですし、その方達をとても大事にされています。
最近は仕事においてもプライベートにおいてもこのようなネットワークを構築されている人が増えてきているように思います。
もちろん表面は仲良くしていても実際は相手の転落を虎視眈々と狙っている、そんな人間関係もありますが、ビジネスにおいては少なくなって来ている感じですね。
かつては「しのぎを削る」的に競争しあって食うか食われるかの、それこそセロサムゲーム的なものだったのがインターネット等でそれぞれ業界の壁がくずれて自由な発想で横のつながりを上手に行い、補完的な関係を作れる人たちがビジネスを成功させていますね。
win-winの関係やシナジー効果で言われるようにお互いにとって利益のある関係こそがビジネスを効果的に発展させています。
社会全体も、ものに対しても所有から共有(シェア)にシフトしていっています。
社会自体が変化していっているんですね。
私たち人類もゆっくりとですがその変化に応じて進化しいる只中にいるのでしょう。
いちはやく、その変化に対応している人たちは、やはり、スマートでかっこよく映ります。
まとめとして、
このブログのテーマでもある脳の健康や認知予備力もこのような自由な発想から生まれるwin-winの人とのネットワークにおいてこそ、育まれるに違いありません。
今回のテーマの結論としては「他人の不幸は蜜の味」の感情をみとめつつも「他人の幸福も蜜の味」を感じることができる人間関係を築くこと、これが大事ということでしょう。