幸せになるために何をしますか?
幸せになるということは人にとって究極の命題といっても良いでしょう。
この幸せになるということについても数多くの研究、考察、実験がなされていて本やインターネット等々で、その結果やデータを見つけることができます。
たとえば「生理学 幸せ」とインターネットで検索すると、人が幸せを感じるときの脳内の活動やホルモンの分泌について、色々なものがわんさと出てきます。
このブログや私の本でも幸せを感じる脳のメカニズムについて書いてきました。
しかし今回は少し角度を変えて
幸福という状態を維持するためにはどうすれば良いか?
を考えて見たいと思います。
たとえば、温泉につかかって「あー、極楽」と声が出た時とか、大好きなケーキを食べて幸せを感じる時とか、もしくは仕事の後で仲間との生ビールが最高!、等々、いろいろな状況で一時的な幸福感を持つことはできます、が、それは継続しません。
幸せの感覚を維持しよと思って、ずっと温泉に浸かり続けても、そのうちのぼせてきます。
ケーキも食べ続けるとお腹がいっぱいになって「もうこれ以上は食べれない…」となります。
ビールも最初の一杯が一番美味しいのであって、飲み続けると悪酔してしまったり、二日酔いになったりして、翌日、大きく後悔をすることもありますね。
残念ながらどの行為も幸福感を継続させることはできません。
では幸せという状態を維持する条件とはなんなんでしょう?
これは人生そのものを幸せにするもの、と考えれば、その条件に近くなると思います。
例えば街頭アンケートなどで「あなたにとって幸せな人生とはなんですか?」と聞いていますね。
それに対する答えとしては、健康であることや、経済的に心配がない状態、自分の子供たちが毎日元気に過ごしてくれることなどが代表的な答えとしてかえってきます。
逆に病気であったり、お金に困っていたり、自分の大切な人に不幸があったりすると、自分は幸せだと思わなくなってしまう。
また巨万の富を保有しても必ずしも幸せではないと言う事実も興味深いし、また経済的に豊かな国が必ずしも幸せな国としてランキングの上位にあるとも限らない。
幸せな人生の条件はなかなか難しいものですね。
最近読んだ本の中に、人生の成功について書かれたものがあり、その中でビジネスにおいても大成功し、人生そのものについても豊かな人生を手に入れている主人公がそのヒントについて話している場面があります。
それは「常にチャレンジして、毎日変わっていくこと、今日の自分は昨日の自分と違う自分になることなんだ。それが僕の目指しているものなんだよ」という一節です。
これにはなるほどと頷いてしまいました。つい、安定は幸せの条件と思うところがあり、安定とは変わらないことと思ってしまいます。
しかし、世の中に、絶対的な安定は存在しないし、存在しないものを求めることはいつまでたっても幸福にはなれないということにつながります。
それよりも物事は変わっていく。そして自分も変わっていく。現在の状態がいつ変わっても大丈夫なように対応力をつけていくことが幸福感を維持する鍵ではないかと思うわけです。
平家物語の中でも、また兼好法師の徒然草、はたまた鴨長明の方丈記にも、諸行無常に対応する力が人生の成功や幸せの鍵なんだという哲学が潜んでるような気がします。
私のセミナーでも物事を白黒はっきりつけない方が認知症になりにくいと言う話をすることがあります。
この認知症になりにくい力を認知予備力といいます。
この認知予備力が強い人は、白になろうが黒になろうがその時の状況に応じて物事に対応できる考え方を持っている人だということはナンスタディをはじめ色々な調査や研究で明らかにされています。
もともと世の中、白黒はっきりしないことだらけなので、それその事実を認め、対応力をつけたほうが合理的ですよね。
つまり結論として
確かに私たちは幸せという安定した状態を求めがちですが、それは幻想であって、幸福感は自他共に変化しているその中で相対的に存在しているのではないでしょうか。
しかも明日は明日の風が吹くと言うような刹那的で楽観的な姿勢が大切であると認識しつつ、しかしその刹那的で楽観的な姿勢は少しでも自分を良くしようとする建設的で積極的な姿勢に裏付けされたポジティブなもであることが重要です。
当然、自暴自棄なものでもなく、悲観的なものでもない。
それは少し頑張れば超えられそうなワクワクするチャレンジを見つけ出すことであり、そのようなハードルを周りにたくさん並べる努力を日々怠らないことではないでしょうか?
そう行った努力を続けるうちに、きっと、幸せな自分を見つけ出せるのではないかと思います。
それも一人ではなく、大切な人や仲間と、そう行った環境を創っていきたいですね。